2007.12.11
高円寺へいらっしゃいませんか?!
先日、新聞にねじめ正一さんより以下のような投稿が紹介されていました。
私は中央線沿線高円寺で生まれ育った。生まれ育った高円寺を舞台にした小説を出して直木賞をいただいた。当然、2作目、3作目も出版したのだが、昭和三十年代の高円寺を思い出しながら書いたのだが、なかなか思い出せなかった。
そんな困ったときに昭和三十年代の高円寺のことを教えてくれる人がいた。その人は高円寺でクリーニング店を営む杉原さんである。年齢は私よりもはるかに上であるが、記憶力が抜群なのだ。昭和三十年代の商店街の名前だけでなく当時に生きていた人たちの性格などもよく知っていた。杉原さんは子どもも好きだったので、空き地に土俵を作って、子どもたちに相撲の稽古をつけて、大会に出たし、子どもたちで野球をやっていると、杉原さんが突然やってきて、「一緒にいれてくれよ」と子どもと混じって、野球をやっていた。杉原さんは子ども中では有名人であった。
そんな高円寺の生き字引の杉原さんに高円寺にスーパーが進出してきた頃の話を聞きたくて、電話をしたら「杉原でございます。」34、35歳の女性が電話に出た。「ご主人いらっしゃいますか」「どちら様でしょうか」「わたくし、ねじめと申します」「ねじめさんですか。実は父は先月亡くなったんです。」
電話に出たのは娘さんであったが、私はショックだった。杉原さんが体調を崩されたことは一年ほど前から知っていたが、まさかお亡くなりなっていたとは。娘さんとしばらく話をして、受話器を置いた瞬間、私の中の高円寺がガラガラと音を立てて崩れ落ちた。町が崩れるというのは、その町を本当に愛していた人が亡くなることかもしれない。人間の記憶はいい加減なものだ。道を歩いていて、更地になっていても、その更地の元の家がどんな家だったのかすぐに忘れてしまう。いや、私はそれではいけないと思った。せめて自分の生まれた高円寺ぐらいは勉強し直さなければと杉原さんに誓った。
(詩人、作家・ねじめ正一)
高円寺はまだそんな人情に出会える街です。貴方も出会いにいらしてみませんか?